2008年9月―NO.71
さらさらとした、なんてきれいな味だろう! 餡をどれほど丹念に晒せば、この「さらさら」になるだろう きめ細かい舌触りを追いかけるように、ちょっと遅れて、小豆の風味がやってくる 山田屋の「山田屋まんじゅう」
山田屋の「山田屋まんじゅう」 (画:森下典子)
その晩、家に帰って包みを開けてみると、箱の中に、白い和紙の小さな包みが行儀よく2列に並んでいて、その包みの真ん中に、上品な梅鉢の紋がポチっと上品についている。 「おかあさん、松山のお土産ですって。いただこうよ」 と、奥に声をかけ、お湯をわかして、木賊(とくさ)の湯のみに、丁寧に煎茶をいれた。 「おまんじゅう?あら、この程の良い小ささがいいわねえ」 母は、ひょいと手を伸ばし、包みを解いて、ふと手を止め、中身を眺めている。 「きれいね、この色……」 私も包みを解いた。その中に、一口で食べられるほどの小さなまんじゅうが、雪国の「かまくら」のような形で、うずくまっている。 実に、いい色だ。 赤みの消えた夕暮れの、模糊とした闇のような色……。 ふと、ある秋の日のお茶のお稽古のことを思い出した。陽が落ちて、お点前をする人の顔も手元も曖昧にぼやけてきた時、生徒の一人が、 「先生、明かりをつけましょうか?」 と、立ち上がりかけた。すると、 「いいのよ。しばらく、このままでいましょう」 と、止めて、先生が言った。 「そこにいる人が誰なのか見分けがつかなくなる、丁度こんな時刻のことを、『かわたれどき』(彼は誰時)というんでしょ。いい時間じゃないの」 それから、すっかりあたりが暗くなるまでのつかの間、私たちは、その「かわたれどき」を味わった。 人も物も、薄墨色の靄を帯び、輪郭がぼやけていきながら、なぜかお互いの気配や存在をひしひしと感じる静かな深いひととき……。