2008年9月―NO.71
さらさらとした、なんてきれいな味だろう! 餡をどれほど丹念に晒せば、この「さらさら」になるだろう きめ細かい舌触りを追いかけるように、ちょっと遅れて、小豆の風味がやってくる 山田屋の「山田屋まんじゅう」
山田屋の「山田屋まんじゅう」 (画:森下典子)
その日の「かわたれどき」を思い出すような、甘い色の小さなまんじゅうを、私はしばし、うっとりと眺めてから口に入れた。すると、 「!」 さらさらとした、なんてきれいな味だろう!餡をどれほど丹念に晒せば、この「さらさら」になるだろう。きめ細かい舌触りを追いかけるように、ちょっと遅れて、小豆の風味がやってくる。 「日本のカカオだ」 と思った。 色がおいしいのか。 味が美しいのか。 どっちだかわからない。 「これ、好きだわぁ〜」 と、母はもう2つ目を口に入れた。 私も2つ目の包みをほどく。小さな「かまくら」を半分齧って、その美しい色の断面をしげしげと見た。 まんじゅうなのに皮がない。いや、皮はあるにはあるが、薄くて透けているのだ。 ……口に入れる。するとまた、さらさらとした、きれいな味がする。そして、 (来るぞ来るぞ) と、思っているうちに、やっぱりあの小豆の風味が追い付く。その風味がいつまでも鼻の奥でおいしい。 私は、3つ目に手を伸ばす……。 パンフレットを見て、「へえー」と思った。この「山田屋」という店は、江戸の慶応3年からずーっと、このまんじゅう、ただ1つだけを作り続けてきたという。一子相伝で、秘伝の製法を 伝え、最高級の十勝産小豆だけを使っていると書いてある。 一見ドッてことないこの名前は、やはり、ただごとではなかった。 昔の人たちは、この「山田屋まんじゅう」の色をなんと呼んだだろう。ただの「あずき色」ではない。「灰色」でもない。この曖昧模糊とした夕暮れのような色を呼ぶ名前が、茶色と鼠色を愛した江戸には、きっとあったのだろう。 「かわたれいろ」……なんて、ないなあ。 そうか、色の名前って、こうやって増えるのか。