身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2008年10月―NO.72

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私と母は、半口食べて、初めての味と触感に、
思わず顔を見合わせ、一斉に言った。
「うわーっ!」 「おいしー!」

ちもとの「八雲もち」


ちもとの「八雲もち」
ちもとの「八雲もち」
(画:森下典子)

 さて、「ちもと」の格子戸をカラカラとあけ、一歩店内に入ると、私はたちまち、ここがあの交通量の多い目黒通り沿いにあることを忘れてしまう。ほの暗い床は、打ち水でもしてあるのかしっとりと濡れ光っていて、
「ちょろちょろちょろ……」
 と、かすかに「つくばい」の水音が聞こえる。
 いや、実際には「つくばい」などなかったかもしれないが、そんな気がするような静けさなのである。
 黒を基調にしたシンプルでモダンな店内には、石造りの立派なガラスケースがあって、シルバーの銘々皿にのせた美しい季節の上生菓子が数種類、柔らかい照明の中に浮かび上がっている。喫茶のスペースには、大きなテーブルがあって、ここで上生菓子とお茶を味わうことができる。
 私がこの店を知ったのは一年前。以来、時折、東横線を途中下車して、わざわざ上生菓子を食べにここに来るようになった。
 この店で、しばしば耳にする菓子があった。「八雲(やぐも)もち、8個入りね」
「八雲もち、12個ください」
 私がテーブルで上生菓子とお茶をいただいている間にも、何人かの客がやってきては「八雲もち」を買っていく。
(それ、そんなにうまいのかなぁ)
 と、頭の片隅で思いながら、私はいつも季節の上生菓子の繊細な美しさと、品のいい餡子を味わっていた。
  その噂の「八雲もち」を、先月初めて、お土産に買って帰った。

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