2008年10月―NO.72
私と母は、半口食べて、初めての味と触感に、 思わず顔を見合わせ、一斉に言った。 「うわーっ!」 「おいしー!」 ちもとの「八雲もち」
ちもとの「八雲もち」 (画:森下典子)
それは、竹の皮で三角に包まれ、「八雲もち」と書いた和紙のこよりで、くるりと縛られていた。こよりを解いて、ガビガビとした竹皮を開く……。すると、中から白い粉をまぶされた茶褐色の餅が現れ、「V」字に開いた竹皮の間で、びろーんと伸びた。 菓子切り楊枝で切ろうとしたが、あまりにも柔らかく、ふわふわとして正体なく頼りない。その触感は、ただの「餅」ではない。 マシュマロのような……、 ムースのような……、 いや、雲のような……。 「なにこれ?」 「不思議な触感だわね」 私と母は訝しんだ。 その茶褐色のふわふわを、竹皮でくるむようにして歯でかぶりついた。鼻先に、竹の香りがふわんと漂い、次の瞬間、口の中にフニャフニャと柔らかい雲が侵入してきた。すると、黒糖の上品な甘みの海である。その甘い海の中に、香ばしいナッツの細かい破片がサクサクと混じる。 「噛んだ」とか「食べた」という実感がほとんどないまま、やがて「八雲もち」は口の中から跡形もなく溶け去り、後には、コクがあって上品な甘みの印象と、ナッツの香ばしい風味だけが残った。 私と母は、半口食べて、初めての味と触感に、思わず顔を見合わせ、一斉に言った。 「うわーっ!」 「おいしー!」 半分齧りとられた茶褐色の雲は、泡立てたメレンゲかスフレのように、フルフルと頼りなく揺れている。私は竹皮に顔をうずめ、残り半分をすするように頬張った。 「八雲もち」は、なんでもこの店の先代が、中華料理を食べながら思いついたものだそうだ。蒸したもち米に黒砂糖と上白糖を混ぜ、それに泡立てた寒天と卵白を加えた求肥餅で、中のナッツはカシューナッツを砕いたものだという。 その不思議な触感と、黒糖とカシューナッツの組み合わせは、私にとって久々の忘れえぬ味になった。 「八雲もち」にはコーヒーか、紅茶か? いや、私はやっぱり、日本茶と共に味わいたい。このコクのある甘みは、緑色にしたたる、椿の親戚の葉っぱのつゆによく似合う。 そんなわけで、私はこのところ、ちょくちょく都立大学で途中下車している。