2010年5月―NO.90
その記憶のせいだろうか。 私は今でも、関西風のお好み焼きを食べる時、 頭の奥で、「こんにちはーこんにちはー」と、三波春夫の歌声を聴く。 大阪万博の「お好み焼き」 (日清フーズの「フラワー 薄力小麦粉」)
大阪万博のテーマ曲は、 三波春夫の「世界の国からこんにちは」だった。 これは、わが家に残る 東京オリンピックのテーマ曲「東京五輪音頭」 (画:森下典子)
わが家に古びたドーナツ盤が一枚残っている。「東京五輪音頭」だ。 「オリンピックの顔と顔 ソレトトントトトント顔と顔〜」 晴れやかな歌声は三波春夫である。三波春夫は、波濤に富士山の裾模様という派手な着物で、艶々した顔にいつも満面の笑顔で歌っていた。国家的イベントのテーマソングを歌うのは三波春夫と決まっていた。 1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」も三波春夫だった。 「こんにちはーこんにちはー 西の国からー こんにちはーこんにちはー 東の国からー」 という歌を、うんざりするほど聴いた……。 今月、中国で上海万博が始まり、パビリオンに大挙して押し寄せる中国人民の熱狂を見ていると、デジャビュを見る思いがする。 日本人だってあの頃は、今の中国人に負けず劣らず熱狂的だった。大阪万博を見に、全国津々浦々から家族連れでドッと繰り出した。なにかと言うと、ドッと繰り出さずにはさずにはいられなかった。行列を組んで何時間も粘り強く待つことをいとわなかったし、むしろ、 「6時間待ったよ6時間」 などと自慢した。 うちの本棚に、『週刊読売臨時増刊号 これが万国博だ』という古本がある。「太陽の塔」の前の広場を吹雪のように千羽鶴が舞い、蟻の大群のような群衆で会場が盛り上がっている。七三分けで眼鏡をかけたお父さんと、チリチリのパーマのお母さんが、水筒を斜めにかけた子供を連れている。大人も子供も好奇心で目をキラキラさせながら、外国のパビリオンや未来の乗り物にカメラを向けている……。 わが家もそんな家族の1つだった。当時、私は中学2年、弟は小学一年。夏休みに両親に連れられ、2泊3日で万博を見物した。「太陽の塔」は3時間待ち、「月の石」のアメリカ館は6時間待ちだった。 奇抜な形のオブジェやパビリオンをたくさん見たけれど、展示品のことは何も覚えていない。それよりも、外国人がいっぱい歩いていることに興奮した。外国人そのものが、まだ珍しかった。中学生の私は、習いたての英語をつかってみたくて、 「どこからいらしたんですか?日本は好きですか?」 とか、二言三言、話しかけてみては、「通じた!」と有頂天になった。まさにあの、 「こんにちはーこんにちはー西の国からー こんにちはーこんにちはー東の国からー」 という歌のままだったのだ。