身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2010年10月―NO.95

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むっちり、もっちりと噛みごたえがあり、西京味噌の香ばしい甘みやほのかな塩気、
ゴマの風味が口の中で混じり合って、優しさに包まれ、うっとりとなった。

松屋常盤の「味噌松風」


松屋常盤の「味噌松風」
松屋常盤の「味噌松風」
(画:森下典子)

 お茶の稽古に通い始めて2年目の、ちょうど今ごろの季節だった。
「うふふふ。今日はね、ちょいと、いいお菓子があるのよ」
 私のお茶の先生は、とっておきのお菓子を用意してくださった時、いつもそう言って、いそいそと奥の台所に消えて行く。やがて、蓋つきの菓子 器が恭しく運ばれてきて、目の前に置かれた。
「どうぞ、お取り回しください」
 器を押しいただいて、蓋をあけた時、私は心の中で、
(なんだ、カステラか……)
 と、思った。表面が焦げ茶色の、黄色っぽいスポンジケーキが、切り分けられて並んでいる。カステラは、あまりお抹茶に合うとは思えないけど……。ちょっとヘンな気がした。
黒文字で懐紙に一つ取った時、ぷうんとある香りがして、(あれ?)と思った。カステラのあの甘い香りではない……。何だろう……。あ、味噌の香りだ!
 よく見ると、焦げ茶色の表面はねっとりと光り、黒いゴマがポチポチと散っている。スポンジの黄色もなんとなく渋い。
「さ、召し上がれ」 
 と、勧められて黒文字で押し切ろうとすると、むっちりとしてなかなか切れない。手で千切ると強いコシがあり、口に入れると、ふわ〜んと、どこかの蔵の歴史を思わせるような味噌のこうばしい風味と甘い香りが混じり合って漂った。それはカステラではなかった。むっちり、もっちりと噛みごたえがあり、西京味噌の香ばしい甘みやほのかな塩気、ゴマの風味が口の中で混じり合って、優しさに包まれ、うっとりとなった。
 思わず生徒同士で顔を見合わせ、
「先生、これなんですか?」
 と、いっせいに聞いた。
「『松屋常盤の味噌松風』よ」
 360年にわたって、家族だけで製法を守り、「一子相伝」で伝えて来た味なのだそうだ。 東京のデパートには全国津々浦々のおいしいものが並んでいるし、お取り寄せもあるけれど、「松屋常盤の味噌松風」は店頭販売だけである。たまにデパートの物産展に出品されると、開店10分で売り切れる。だから、ほとんど京都の人の口にしか入らない。昭和天皇も「松屋常盤の味噌松風」がお好きだったそうで、京都御所にご用でいらしたとき、侍従長に頼んで「松屋常盤」の店頭に買いにいってもらったそうだ。
  その日の「味噌松風」は、先生のお友達の京都旅行のお土産だった。なかなか食べられないと思うと、よけい、(おいしかったなぁ〜)と思い出し、思い出すたび、鼻の奥に香ばしい西京味噌の風味がぷうんと蘇った。

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